■アルバム解説
浮世絵における独特の平坦さと空洞性が西洋美術に与えた影響の大きさはよく知られているが、その功績を映像の分野で受け継ぐのがアニメーションだとして、では、音楽の分野に後継者はいるのだろうか? 例えば、向井秀徳とLEO今井による新プロジェクト―“Kimonos”がそうだろう。
2人の出会いは、2007年、LEOが向井をライヴのゲストに招いた事がきっかけだった。「その頃、私はロンドンから日本に移り住んだばかりで、この国のロック・ミュージックをほとんど知らなかった。ただ、それでも、ZAZEN BOYSは特別に聴こえました。まるで、フガージ(イアン・マッケイ率いるポスト・ハードコア・パンク・バンド)みたいだなって思ったんです。実験的なのに、ストレートに格好よい。そんなバンドのフロント・マンと是非、セッションしてみたかった」(LEO)。一方、向井は言う。「“LEO今井”という名前は初耳だったんですけど、試しに聴いてみたら、おぉ、ピーター・ゲイブリエルやブライアン・フェリーを彷彿とさせるところがるじゃないか―ひと言で言うと“洋楽”だと思ったんですね。自分はMTV世代、いや、正しくはベスト・ヒット・USA世代なので、その辺はど真ん中ですから」(向井)。ここで向井が言う“洋楽”とは、“西洋のポップ・ミュージック”とはイコールを結ばない。むしろ、それは“ヨウガク”という日本にしか存在しないポップ・ミュージックを意味する。「LEOの曲では、特に、Kimonosでもリメイクした“Tokyo Lights”が気に入った。日本語で歌われているのに、地元の人間とも、私のような地方出身者ともまた違う視点で東京が描写されていて、その、まさにストレンジャーな感覚に興味を持ち、会う気になったんです」(向井)。また、そのような感覚は、向井にも共通するのではないかと、LEOは分析する。「ZAZENのサウンドは実にユニーク。日本国内でも怪物として見られていると思うんですけど、世界中何処に行ってもそれを聴いた人は驚くんじゃないでしょうか」(LEO)。
そんな似たセンスを持った2人だからこそ惹かれ合ったのだろうし、やはり、Kimonosの特徴は彼等の共通点を強化したものになっている。サウンドは確かにストレンジだが、それは決して奇を衒っているわけではなく、その背後にあるストレンジャーな感覚から来ているのだ。「最初、向井さんからPINK(80年代、ビブラトーンズから派生した日本のバンド)の“ドント・ストップ・パッセンジャーズ”をカヴァーしてみたら、と言われたんです。じゃあ、一緒 にやりましょうと誘って。それがKimonosの始まり」(LEO)。「取っ掛かりとして色々とカヴァーをやってみようということになったんですね。サイプレス・ヒルの“アイ・ワナ・ゲット・ハイ”とかトーキング・ヘッズの“ディス・マスト・ビー・ザ・プレイス”とか。結局、アルバムに入ったのは細野(晴臣)さんの“スポーツ・マン”だけだけど」(向井)。その、雑多なようでいて、筋の通った選曲からも分かる通り、ひょっとしたらKimonosのアルバムを“ダンスもの”として聴く人もいるのかもしれないが―勿論、それが間違っているわけではない―このユニットが追求としているのは特定のジャンルではなく、ひとつのフィーリングである。「確かにKimonosのアルバムはバンド・サウンドではない。でも、何かをお手本にしようとしたわけではなく、2人でシンセを持ち寄ってつくったら、こうなってしまっただけのことなんですよね。出来るだけシンプルにしようというのはあったけれど」(向井)。「向井さんとスタジオに入る事になっ た時、歌詞のコンセプトやジャケットのアートワークを大正文化から引用したいというアイデアが浮かんだ。何故なら、あの時代には、西洋と日本の非常に率直で、それでいて調和的なミックスがあったと思うからです。私が衝撃を受けた大正時代の美人画ーー例えば、中村大三郎の“ピアノ”や山川秀峰の“三姉妹”では、当時の最新の文明と、着物に身を包んだ女性が並列に描かれています。我々がやろうとしている音にピッタリだったんです」(LEO)。大正の美人画は形式的には浮世絵ではないが、“俗世間(=浮世)”を新鮮な手法で描くという意味では正統な後継者である。Kimonosもまた然り。「LEOの美人画の話を聞いて、成る程と思った。でも、その時、手元に実際の絵がなかったんですね。だから、私の妄想で補完せざるを得なかった。それでハッとして、じゃあバンド名は“Kimonos”だ! と。」(向井)。
フラットなようでいてディープな、多国籍なようでいて無国籍な、いつの時代にも、何処の国にもなかった、 2010年の日本でしか鳴り得ない音楽。Kimonosはまるで浮世絵をアップ・トゥ・デイトしたみたいな、最新の浮世音楽を鳴らす。
文 / 磯部涼